この世界で働くということ

皆さま、こんにちは、そして、こんばんは。

中小企業診断士の菅野です。

今日のテーマは、「この世界で働くということ」です。

ぜひ、お付き合いください。


今日は、「この世界で働くということ(ティモシー・ケラー著、峯岸麻子訳:いのちのことば社)」から、「人間は何のために働くのか?」ということを考えてみたいと思います。

 

まず、著者の紹介ですが、ティモシー・ケラー氏は、ニューヨークのリディ―マー長老教会を開拓した方で、この書が発行された2018年には、同協会の日曜礼拝出席者が5千人以上と、驚異的な数となっています。

 

さて、この本には、「仕事を通して神と人に仕える」という副題があります。

これは即ち、仕事とは本来、神に仕え、人に仕えるために、神から与えられた召命(コーリング)であり、すべての仕事が神にあって尊く意味があるということを指しています。

 

国民の4分の3がキリスト教徒というアメリカと、仏教、神道が大多数を占める日本との違いはありますが、言い換えれば「仕事とは本来、天から与えられた使命であり、すべての仕事は尊く意味のあるもの」と捉えることもできるのではないでしょうか。

 

そう考えますと、「使命感を持って働く」ことの意味、「天のため、人のために働く」ということの意味を追求することは、今後の職業人生をよりよく生きるために必要なことかもしれません。


一方で、「人のために働くことはわかる・・でも天のために働くってどういうことなんだろう?」と疑問に感じることがあるかもしれません。

 

このことについては、様々な宗教や哲学等で解き明かしをしていますが、一方で、あまり難しく考えなくても(宗教や哲学まで踏み込まなくても)、日常の仕事や生活の場で体感できます。

 

話しは変わりますが、日本人は古来、日本の美しい自然を愛してきました。そして「大いなるものに生かされている」と感じ、神仏を畏れ敬い、自然と共生してきたといいます。

 

私たちの祖先がどのような自然観や死生観を持っていたか、どのような想像力を持ち、何を尊び、何を畏れ敬ったか・・・これらは、日本の伝統と文化の中に見ることができるのではないでしょうか。

 

また、「天」は日本だけでなく地球全体に存在するものと言えます。

そうしますと、「仕事とは本来、天から与えられた使命であり、すべての仕事は尊く意味のあるもの」という考え方は、「万国共通」と捉えることもできます。


話しは変わりますが、3月7日のブログでご紹介した稲森和夫氏は、「ものごとの本質を究める」という言葉を残されました。

 

その内容を少し引用させて頂きますと、

  • 私たちは一つのことを究めることによって初めて真理やものごとの本質を体得することができます。究めるということは一つのことに精魂込めて打ち込み、その核心となる何かをつかむことです。一つのことを究めた体験は、他のあらゆることに通じます。
  • 一見どんなにつまらないと思うようなことであっても、与えられた仕事を天職と思い、それに全身全霊を傾けることです。それに打ち込んで努力を続ければ、必ず真理が見えてきます。
  • いったんものごとの真理がわかるようになると何に対しても、またどのような境遇に置かれようと、自分の力を自由自在に発揮できるようになるのです。

といった内容になります。

 

このことは、「天のために働く」意味を、日常の仕事や生活の場で体感し、疑問を解決することにつながるのではないでしょうか。

 

今日はここまでにさせて頂きます。

最後までお読み下さり、ありがとうございました。